たまたまです、たまたまですよ。
今日は全国的に天気がよくなかったみたいです。
名古屋では雨が降ったり止んだり、時には激しい雨にもなりました。
私が車を降りるときにちょうど降り出したりと散々でした。妻はその逆で、外に出るときは常に雨は止んでいたとの事です。うらやましい。
お月参りに車でお伺いするときに、ご門徒さんが借りておられる月極駐車場に車をとめる事も多いです。
大体は〇〇番に駐車してください、一番奥に駐車してくださいなどと教えてくれます。
今日お伺いしたご門徒さんの借りられている駐車場には番号が振ってありますが、応対してくれたおばあさんは番号を覚えていないらしく、「奥から2番目にとめてください」と、最初にお伺いしたときに教えてくれました。
私は大体番号を手帳に控えておくのですが、車止めに「5」と書いてありました。
さて、次にお伺いしたときには番号をしっかり見ずに、手前から「1、2、3、4、5」と数えて駐車しようとしました。
しかし数えて5番目に到達すると、奥から2番目ではなく一番奥になっています。
おかしいなと思って番号を見ていくと、手前から「1、2、3、5、6」という番号振り分けになっていおり、思わず「なんてわかりづらいことをするんだ」と愚痴がこぼれてしまいました。
聞くところによると、月極駐車場等で番号を振る際、4と9を避ける事があるみたいですね。4は死、9は苦と読めるため「よくない数字だ縁起が悪い!」と避けるようです。
こんな感じで、ゲン担ぎをする事は多々あるかと思いますが、このように数字の4と9を避けたからといって、死や苦などの嫌な事から逃れる事ができる訳はないです。
しかし、何としてでも死や苦などの嫌な事を避けたいので、嫌な事の原因をその数字に押し付けて、自分から遠ざけようとします。
それは、様々な「縁起が悪い」と言われる事柄のせいにして、遠ざけるという間違った手段です。
そんな手段に頼ってばかりいるといつしかその「手段」に目的が取って代わられてしまうかもしれません。
「靴ひもが切れたので今日は出かけないようにしよう」
「黒猫が横切ったのでこの道は避けよう」
そんな「手段」に縛られてしまった生き方というのは、果たして自らの足で道を歩んでいると言えるのでしょうか。
ですので、雨に降られ続けた今日の私は、たまたまタイミングが悪かっただけなのです。
それだけなのです。ええ。