学べる幸せなんか考えていなかった。
ご門徒さんの家で月参り後の雑談の際、学校のお話しになりました。
尋常小学校の途中で勤労奉仕に変わり、兵隊さんの毛布を作っていたとのお話をしていたおばあさんは、孫の学校へ行く姿が少しうらやましそうでした。
ふと自分の事を思い返してみると、学校へ通い授業を受けるのが億劫で仕方が無かった記憶があります。
勉強するよりも遊んでいたい一心だったときもありましたが、様々な方に尻を叩かれて通っていました。
大学へ進学してから学ぶ楽しさを発見しましたが、その頃から今に至るまで、ずっと後悔しています。
あのときもっと勉強していれば・・・。とは誰しも考えるのではないでしょうか。
こういう想いというのは勉強だけではありません。
あのときこうしていればもっと違っていたのにと考える事はどんな事象でもそうですね。
後悔先立たず、しかし現在精一杯生きるのは難しいです。
しかし、自分の心の中を見つめてみると、様々な方に叱咤されるのではないでしょうか。
自分に生きる事を教えてくれた方、生きる力を与えてくれた方。そんな方々に報いる歩みを私はできているのか?
私たちのこころにいる仏様は、そういう問いかけを常にしてくださっています。
私たちが気づいていないだけで、常に問いかけてくださっています。
その言葉に耳を傾けるのが、信心というものではないでしょうか。
過去は戻ってきませんので、今できる事、今勉強できることをするしかないですね。