善悪なんて七変化。
今日昼過ぎに、岐阜長野にまたがる御嶽山が噴火したとのニュースが流れ、驚きました。
山登りはしないで詳しくはないのですが、小学生のときに、御嶽少年自然の家というところに宿泊した事があるくらいです。(現在は閉鎖をして別の施設になっているみたいです)麓なので、空気の冷たい綺麗な場所という事ぐらいしか思い出にありません。
前兆も無く急に噴火したんでしょうか。自然災害は、本当に私たちの想像できないものなのだと痛感させられます。
けが人等も出ているみたいです。災害規模と被害が、これ以上大きくならない事を願わずにはいられません。
先日の永代経でのお説教のお話に次のようなものが紹介されました。
「あなたは列車を運転して、鉄橋をわたっています。少し先に分かれ道があり、手元でどちらに行くかを操作できます。2つの道の行く先を見てみると、右には4人の子どもが、左には1人の子どもが遊んでいます。あなたはブレーキをかけようと思いましたが、間に合いそうにありません。あなたは、右と左どちらを選ぶ方が正しいと思いますか。」
数年前にベストセラーになったサンデル教授の本の中でも出てきた、有名な思考実験です。お説教の先生の娘さんが通っている大学でのテストで、この質問が出てきたそうです。
おそらく、4人の子どもを救うために1人の子どもを犠牲にする。というものを選ぶ方がほとんどだと思います。
では、その1人が自分の子どもだったらどうでしょうか。
「正しい」という考えは、「善か悪か」という判断に基づいているかと思います。
4人を犠牲にして1人だけ救うのは「悪」なのだとしたら、1人を犠牲にして4人を救うのは、果たして「善」なのでしょうか。
立場が変わってしまえば、「善悪」なんて見方はころころと変わってしまいます。
こんな極端な例ではなくても、私たちが生きる上での選択、行為には純粋に「善」と呼べる行為というものは、ほぼ無いのではないかと思います。善悪で判断しろと言われたら、どちらも「悪」になってしまうと思います。どちらも「正しい」とは言えないと思います。
私たちの行いを、仮に「善悪」という物差しで判断するならば、「悪」にしかなれないということを、この問題は示してくださっているのかなと思いました。
生きるということに、「善悪」という物差しを超えた見方をするのが仏様の見方なのだと思います。