知らなくてもいいこと、知らないほうがいいことってあると思う。
御嶽山が噴火してからもうすぐ2週間が経とうとしています。
噴火直後は、SNS等に噴火直後の様子がアップされるなどされていましたが、まさかここまでひどい災害になるとは思いもしませんでした。
まだ見つかっていないご遺体もあるそうです。捜索環境も悪いそうなので、無理せず、しかし早く見つかってほしいと願うばかりです。
噴火から時間が経ち、徐々に災害の全容と被害者の詳しい情報が出てくるようになると、報道は御嶽山噴火のこと一色に染まっていきました。
予知できなかったのか、なぜここまで被害が出てしまったのか、今後どうなるのか等、私たちが知りたい事をなんとか解明しようと懸命に取材されています。
しかし、被害者の人となり等、個人のプライバシーに関わるところにまで焦点を当てて、それを繰り返し報道する所に少し違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか。
不幸な事故だった事は確かなのですが、過剰に悲劇のストーリーを作り上げようという意図が私には見えてしまいます。
こういった災害の報道に限らず、重大事件の被害者、加害者の個人的な情報を公表しすぎている風潮はないだろうかと思います。
よく目にする問題提起として、「重大事件加害者の卒業文集は公表する必要はあるのか」というものがあります。私は、公表する必要は無いのではないかと思います。
「知る権利」という言葉を最近よく聞きます。行政、経済についての「知る権利」というものは確かに大事かと思いますが、何が何にでも権利とやらを振り回すべきではないんじゃないかと思います。
「知りたい」という欲にまみれすぎているんじゃないかと、思っています。