日々ちょうこく

名古屋のお坊さんのブログです。文章練習も兼ねて、見た事、聞いた事、思った事を書いていきます。 たまに抹香臭い事も書きますよ。

おばあさんのお叱り。

先日お参り先でお叱りを受けました。

 

その相手は、春頃に私がご法事を担当させていただいたおばあさんでした。そのご法事は1年以上前からお約束をさせていただいていたのですが、住職の予定の折り合いが急遽つかなくなり、私が代わりに担当することで一旦は了承させていただき、ご法事をお勤めさせていただきました。

ご法事自体もなんとか滞りなく終了し、それからしばらくお月参りで私がお伺いをしていました。

しかし、おばあさんの気持ちとしては、ずいぶん前から約束していたのだから、住職にご法事をお参りしていただきたかったとの事でした。

私が代わりにご法事をお参りさせていただいていいかと訪ねた際は、私に気を遣って了承していただいたそうですが、やっぱり心の中ではもやもやとしていたそうです。

 

そのおばあさんのところへは、予定の兼ね合いもあり、ここ1年ほど私がお伺いさせていただいていました。住職がしばらく顔を出さなかったことも、自分の気持ちを軽んじられていると思ってしまう原因になっていたのかもしれません。

私も住職も、軽く考えていることはないのですが、ご法事(お年忌)をお勤めするということに慣れてしまい、一つ一つの法要の大切さ、重さというものに悪い意味で慣れていた面があったのかもしれないと、問いかけられたのだと思いました。

 

おばあさんは、何も言わずにフェードアウトするということをせず、言いにくいことを思い切って言ってくださいました。

お叱りを受けることで、より大事にしていただいているという気持ちも受け取らせていただきました。

 

私の進む道を問い直してくださり、「仏道」、仏さまの道を歩むという方向に向けてくださる方を「善知識」と言います。

おばあさんは、確かに私にとっての「善知識」だと今回気付かさせていただきました。

ありがたかったです。