5月の法語。
お軽さんとは、江戸時代に下関の六連島という所にいた妙好人と呼ばれる篤信のお同行さんです。
元来気性の荒い女性でしたが、結婚を機に貞淑な女性になりました。
しかし、夫の浮気によって嫉妬に怒り苦しむ事になります。
それがご縁で、島にあるお寺に行くようになり、住職と話すうち、また聞法するうちにお念仏の教えを大事にされるようになりました。
自らの信心を歌にして表し、それが現在まで残っております。
今回の法語はその中の一つです。
私たちはいろいろないいお話を聞いて、なるほどと心にスッと落ちてくる事があります。
しかし、人間はそんなに簡単に変わる事はできません。むしろ、一番深くにある性根というか、業というかそういったモノは変わるモノではありません。
いいお話をお寺で聞いても、家に帰る頃にはいつもの私に戻ってしまうのが凡夫である私です。
お軽さんも、そんな自分を自覚していたのだと思います。
そして、そういった自分をわかっているからこそ、何回も聞法に出かけられたのだと思います。
聞くたび聞くたび、欲深く罪作りな自分を自覚させてもらい、「また聞きにこいよ」という仏様の呼び声に促されて、聞法を楽しまれたのでしょう。
そして、「ぜひにこい」といつでも、どこででも言ってくれる仏様が、いつでも自分を見守ってくれていることに気づいて、感謝のお念仏をしていたのだろうと思います。