怠けたい私がひっぱられ。
北海道では季節外れの積雪があったようですね。
米不足になった十数年前並の冷夏になってしまうのかと今から心配しています。
今日は私の父方の祖父の祥月命日でした。
私の父は、現在お世話になっているお寺のすぐ近くに次男として生まれ、母の実家へと婿養子に入りました。
訳あって、父の実家のお寺は父の大学時代の友人が住職を務めています。
このお寺では、祖父の祥月命日には毎回永代経を勤めています。名古屋に来てからしばらく経ちますが、お恥ずかしい事にあまり顔を出していませんでした。
今回もお月参り等がありましたが、空いた時間、なんとか終わり間際に顔を出す事ができました。
講師の先生のお説教の後のご住職の挨拶のお話が心に残っています。
「お寺へ足を運んで、お説教を聞くという事は辛く、めんどくさく、できればしなくないなと思ってしまいます。それでも足を運んで聞法するということは、仏さんから、また様々なご縁の人(亡くなった方、生きている方関係なく)からお参りに行けよと、引っ張られ、背中を押されている。」
こんなような事をお話しされました。
お参りに合間の時間、顔を出さずに休憩する事もできました。
しかし、ここのご住職の顔、祖父の顔など、様々な方の顔が思い浮かびました。
まるで、「時間があるなら是非顔を出そうよ」と私を引っ張ってくれたようでした。
そしてご本尊に手を合わしたら「ようこそ来てくれた」と迎え入れられた気にもなりました。
顔を出してよかったな、手を合わす事ができてよかったなと思う事ができました。