船を漕ぐのはひとりじゃない。
難度海
私は昔 淡路島で
小舟を漕いだが
この難度海は
あまりに茫茫としている
ひとりでは漕げない
-榎本栄一-
実家のお寺の納戸には、祖父が集めた本が山のように保管されています。
たまに帰ったときに入り込んで、祖父の面影を思い出しながら本を拝借しては読ませていただいています。
その中で榎本栄一と言う方の詩集が目に留まり、読んでいます。
詩の教養などありませんので、わからないなりに読ませてもらっています。
その中で、目に留まったのが上記の「難度海」という詩です。
親鸞聖人の言葉に、「難思の弘誓は難度海を度する大船」と言う言葉があります。
「難度海」とは、苦しい事、迷う事の多い人生を、渡る事が大変困難な海に例えたものです。「難思の弘誓」は、私たちでは思い量ることの到底できない阿弥陀様の「一人残らず救うぞ!」という、私たちまで届いている誓いの光のことです。
その光に照らされて歩んでいくということは、渡りのが難しい人生の海を渡る事ができる方法だということです。
私の言葉の受け取り方はでは、阿弥陀様の用意してくれた船に乗って、のんびり海を渡っていく。一人で船を漕いでいく。そんなイメージでした。
しかし、この詩に出遇って、阿弥陀様が用意してくれた船に、私に縁をいただき、先を導いてくれた方々が一緒に乗り込んで、一緒に船を漕いでくれる、そんなイメージが変わりました。
榎本さんはこの詩で、一人では人生を歩みきれない私と言うものを表現しているのかと思います。そしてそのあとには、「一緒に漕いでいく」ということが続いていくのだろうと思いました。
その一緒に漕いでくれるのはいったいどんな方たちなのでしょうか。
なにより大事にしなければいけないと思いました。