朝早くの出遇い。
私のところのお寺は、午前6:30に扉を開けて、お朝勤をしています。
朝早くなので、大体お参りされる方はいません。それでも、散歩している方々が聞いていると思ってなんとか続けています。
先日、お朝勤の最中に本堂へ上がってこられる気配がしました。
めずらしいなと思って、お勤め後に振り返って、ようこそお参り下さいましたと声をかけました。
夜のお仕事をされている男性の方で、たまたま帰宅に利用したタクシーを降りたときに、お勤めの声がしたので手を合わせにきたとのことでした。
お話を聞いていくと、私より5つくらい年上でご両親を亡くされているのですが、両親には大変な迷惑をかけ、そして、父親が亡くなったときには、とある事情で弔いができなかったそうです。
その事を大変後悔されていて、今でもよく父親の夢を見るそうです。
父親は夢に出てくる意味はなんなのか、自分に何をしてほしいのか、早くこっちに(あの世)来いということなのか。その事を思うと、もう自殺もしたいくらい辛いそうです。
私はお話を聞く事で精一杯でした。そして、なんとか「生きましょう」と言う事だけ言う事ができました。
これは上辺だけの言葉にしかならなかったなと今でも思い返します。
しばらくお話を聞いた後に「是非手を合わせてお念仏しましょう」ということができした。
ふたりでお念仏した後、その男性は「ありがとうございました、またお参りに来ます。」といって帰っていかれました。
私には、人の大変な問題を解決する力と言うものは無い、と改めて教えられました。
これからもお話を聞く事しかできないでしょう。
お寺にお参りにきてくださるのは、仏様と向き合い、自分と向き合うためなんだと思いました。私は、そのときに一緒に手を合わせる事しか、できることはないなと思いました。
しかし、男性は一つ自分の中で区切りを付けられて、帰っていかれました。
これが仏様の力なんだと、思い知らされました。