いただきます。ごちそうさま。
今日は曇りではありましたが、湿度が高いのかムシムシと不快な暑さでした。
子どもの頃の夏休み中のお昼ご飯といえばそうめんでした。
お中元等でたくさん頂いていたことと、夏の暑さで食欲が落ちているときでも、スルスルとお腹へ治まっていくので重宝したのでしょう。
何日も続く事もあるものですから、「またそうめんかぁ」などと文句をいいながら食べていた記憶があります。
案外、今でもそういうお宅は多いかもしれませんね。
そんな不満をいいながらの食事でしたが、父と祖父の教えの賜物なのか、手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」と言う事はできる限り欠かしませんでした。
その教えとは今でも響いていますし、私の子どもにも伝えようとしています。
「お金を払って私のものになった食べ物なので、いただきます、ごちそうさまと手を合わせてお礼を言うのはおかしい、必要ない」
「手を合わせていただきます、ごちそうさまということは宗教行事なので、学校で行うのは不適切」
そんな主張をされる方がいる、そんな話を聞いたときは驚きました。作り話なのかとすら思いました。
普段の生活の中での「食事」と言うものは、単なる「作業」になっていることはありませんか。
私も、ただ漫然と食事を終わらせて、「ごっそさん」とおざなりに行ってしまう事が、たまにあります。そこには、他のいのちをいただいて、私のいのちをつなげさせていただくということが、ストンと抜け落ちていると思います。
いのちをいただき、そのいのちに感謝する。その表明が「いただきます」と「ごちそうさま」です。
それが無ければ、「食事をしている」のではなく、「エサを摂取している」ということにとどまってしまうのではないでしょうか。
私は「食べ物には仏様がおる」と教えていただきました。
私に入り、私になって生かさせていただく仏様に感謝しなければなりません。
今日のうちの晩の仏様は冷やしクッパでした。
スルッと食べられていいですよ。
ごちそうさまでした。