ありがたいやら恥ずかしいやら。
葬儀をした後、いわゆる四十九日までを中陰といい、七日ごとに一度お参りをします。
他宗では「追善供養」として営まれることもありますが、真宗ではあくまで遺された者が亡くなった方を縁として、仏法に出遇うという期間です。
集まれる方は集まって、お勤めした後に故人の事についてお話していただく事が何より大事なことだと思います。
週1回せっかく一緒にお参りするので、四十九日の忌明け法要で一緒にお勤めできるよう、練習も兼ねて、初めてお勤めされる方にも積極的に声を出していただいています。
今日はその場面で、練習したいから私が読んでいるところを録音させてほしいと頼まれました。
喜んで承諾したのですが、やはり恥ずかしい。いつもよりもはっきり発音しようとして意識しすぎて、なかなか上手くいかなかったと後悔。
ちゃんと録音できているか確認のために再生していただいたのですが、自分の声は想像している声と全然違い、なかなか思う通りにお勤めができていないと感じたので、更に恥ずかしい思いをする事になりました。
それでも、これで法事では一緒にお勤めの声を上げることができると思うと、恥ずかしい思いをした甲斐があるとうれしく思いました。
昔は師から弟子へ、親から子へ、直接口頭で伝わったことが多かったのですが、今では少なくなっているのが現状です。
様々な方法も駆使しながら伝えていかなければならないと、考えさせられました。