目に見える浄土。
今日は月に一回の定例布教。本堂でお勤めの後にお説教をお聞きしました。
今月の先生は大変ご高齢の方です。優しい口調でお説教を流れるように話されました。
「七宝講堂道場樹 方便化身の浄土なり 十方来生きわもなし 講堂道場礼すべし」
(浄土和讃)
七宝講堂道場樹とは、阿弥陀様が浄土で説法をされている七つの宝(金、銀、瑠璃、玻璃、硨磲、珊瑚、瑪瑙)でできている場所で、講堂で法を聞く場所、道場でさとりを開く場所、そこに植えられている樹が道場樹です。
お寺の内陣や仏壇の飾りを見てみますと、金箔が張られ、漆が塗られ、真鍮製の仏具で飾られております。
これは、お浄土の姿を視覚的に表して心を向けさせるためです。まさに「方便(さとりに向かわせるための喩え)の浄土」です。
阿弥陀様の像もそうですが、目に見えないお浄土、阿弥陀様というものに心を向けるというのは大変困難な事です。なんとか教えを伝えようと先人達が苦労をして形作ってくれたのが仏像であり、本堂、仏壇のお飾りです。
そういったものを大事にして手を合わせるのが、先人達に報いる姿なのだと思います。
お説教の後、先生は、命続く限りお話に来たい、これが楽しみだとおっしゃってくださいました。ありがたい事です。