8月の法語カレンダーより。
阿弥陀如来を表す別名として、十二の光の名前があります。
無量光 無辺光 無碍光 無対光 炎王光 清浄光
歓喜光 智慧光 不断光 難思光 無称光 超日月光
この中でも「超日月光」を取り上げてみます。
これは、「日の光、月の光を超える光」ということです。
日の光、月の光というものは、私たちを照らしてくれますが、雲が出てくると隠れてしまいます。また、日の光は昼間しか照らす事ができませんし、月の光は夜しか照らす事ができません。
阿弥陀様の本願の光は、それを意識していない者のところへも届いています。それこそ、煩悩の雲、迷いの雲、自分本意という雲に覆われているとしても、その光の妨げになるという事はありません。気付いていないだけです。
また四六時中、それこそ昼も夜も関係なくまんべんなく届いています。これも気付いていないだけです。
その光とは、私たちを生かしてくれるはたらき全部のことだと思います。それが、阿弥陀様の本願というカタチとなって「生きよ、生きよ」「救うぞ、救うぞ」「漏らさないぞ、漏らさないぞ」と常に私たちのもとへ語りかけてくださっている、おがんで下さっているのだと思います。
私たちが気付いていないだけ、意識していないだけで、常に照らされている「日月を超える光」。そこに気付く事ができたときに、本当に心から「なまんだぶ」というお念仏を称える事ができるのだと、私は受け止めております。
私からおがむのが始まりではなく、すでにおがまれていることに気付いて、おがむことができるのだと思います。