昔は即バリカンでした。
娘が生まれてからというもの、自然と道ゆく子ども達に目がいくようになりました。
また、子ども達が道ばたで遊んでいる所を見ると、なんだか顔がほころぶようにもなりました。
注目するようになったからなのかはわかりませんが、小学校上がる前の子どもでも、髪を染めている子をちらほらと見ます。(そんな小さな頃から・・・)となんだかモヤモヤした気持ちになっていました。
阿弥陀様の徳を表す十二の光の名前に「無碍の光」という名前があります。
碍り(さわり)のない光、つまりなにごとも区別無く、ちがいなんて問題にしない阿弥陀様の救いの事を表しています。つまり、法(ここでは仏教で言う法、真理のこと)の下での絶対平等のことです。
私たちは自らの都合で、考えで物事を区別し、差を付けてしまっています。それは経験だったり、価値観だったりと、自らを形作ってきたものによって起こってくるため、離れる事は難しいのです。
しかし、その価値観とか、経験からくる区別、差別というものは、阿弥陀様の前では問題にはならないのです。
髪を染めていようが、いまいが、問題にはならないのです。
私は子どもの頃、髪を染める=不良というイメージの中で育ってきました。
その髪を染めている子どもは、髪を染める=不良というイメージの中では生きてはいません。
私の勝手な解釈で、その子を、その子の髪を染めさせた親を不良として見ていたのだなぁと気付かされました。もったいないことです。