日々ちょうこく

名古屋のお坊さんのブログです。文章練習も兼ねて、見た事、聞いた事、思った事を書いていきます。 たまに抹香臭い事も書きますよ。

死に出遇うワークショップ。

午前中にお月参りを全て済ませた後、またもや久遠寺さんにお邪魔をさせていただきました。

今日は、関西で「なごみ庵」というお寺を開かれ、様々な活動をされている浦上哲也師による「死の体験旅行」とよばれるワークショップを受けさせていただきました。


死の体験旅行 | まちのお寺の学校ナビ

 

医療関係の学校等で似たようなことが行われているとの事で、死を疑似体験する事によって、死にゆく人の悩みや苦しみ、死にゆく人を見送る人の悩みや苦しみを考えてみようというものでした。

またその過程で、自分が本当に大事にしているものの再認識、それが失われていく事の喪失感、それを考える事によって、今生きているという事の不思議さ、大切さに改めて気付くということもあります。

ワークショップの内容は公表できませんが、貴重な体験をさせていただきました。

 

死の疑似体験をしてみようという試みを通して、改めて死にゆくという事は想像を超えている、本当の意味で一つ一つ喪失を体験してみないとわからないということを思い知らされました。

私の理解の範疇を超えてしまっているが、しかし必ず訪れるものへの苦悩というものは、一人一人独立して持っております。その苦悩すらも私を私たらしめているものの一部なんだと思います。

そう考えると、他人が理解するという事は、到底無理な話なんだと思います。

では、死にゆく人に私ができることとって何なのだろうか。悩みは消えません。

しかし、「理解ができない」という前提があるということをわかっていれば、一歩進んだという事なのかと思います。

 

今のところは、死にゆく人の正面に座って、お話を聞く事しかできないなぁと思いました。