情けないこの身は、この身にしかわからない。
台風一過ですっきりした晴天になったのはいいのですが、吹き戻し風がとにかく強い一日でした。
また夕方からグッと気温が下がり、北海道では雪景色になったところもあるそうです。まるで台風が冬を少し連れてきたようです。
ご門徒さんの所にお邪魔すると、「もうすぐ暮れだね」「あっという間に一年が過ぎていく」などと、少し気の早い会話になってしまいます。
朝方にご門徒のおばあさんから電話がありました。
今日が月命日で、お月参りに行く予定をしていたのですが、足腰の調子が悪く思うように動けないため、掃除もできてないしお仏壇のお給仕もできないそうです。私は気にしなくても、おばあさんは「恥ずかしい」という気持ちが強いのか、今日はお参りをお休みしてください、との事でした。
自分の体が思うように動かなくなり、今までできていた事ができないようになることを「情けない」「恥ずかしい」「悔しい」と思うことは、誰しもいつかは出てくるものだと思います。
そしてその思いというものは、外側からは見えていても理解できないものだと思います。(先日の日記でも同じような事を書いた気が・・・。)
「そんな事気にしなくても良いですよ」「老いていく事は仕方の無い事なんですよ」と声をかけるのは簡単です。私も思い返してみれば、そんな慰めの言葉を簡単に発していました。
「仕方が無いこと」と言う事は、本人が1番わかっている事だと思います。しかし、わかっていてもやりきれないので、情けない、恥ずかしい、悔しいという思いが出てくるのだと思います。 いくら周りが気にしないと言っても、本人は余計に気にするのだと思います。
そういう思いに出遇ったら、やはり私は聞いて、うなずくしかできないんだと思います。
おばあさんは電話の最後に、「お寺で私の分もお参りしておいてくださいね」と言われました。
情けない、恥ずかしい、悔しいという気持ちを抱えたおばあさんも、そのまんまで手を合わせたいという強い気持ちを受け取って、私はお寺で手を合わせました。