手をあわせる先のお姿。
ご主人の忌明けが済んで、しばらく経ったおばあさんの家にお参りに行った時に、仏壇のご本尊のことについて色々と尋ねられました。
おばあさんの家にはお仏壇が無く、今回をご縁として新しく小さめのお仏壇をお迎えするつもりだそうです。
これまでは、こちらが用意した仮の阿弥陀様の絵像軸を壁に掲げて、そこにお参りをしていました。今回、お仏壇をお迎えするにあたって、ご本尊をどのように用意したらいいかわからないとのことです。
私たちが日々手を合わせている御本尊さんにはいくつか違った形があります。
阿弥陀様の姿を彫った木像、阿弥陀様の姿を描いた絵像、「南無阿弥陀仏」という字を書いた名号と、おおまかにこの3種類かと思います。
なんとなく、字だけよりも姿が見えていた方が良さそうで、姿が平面よりも立体で表されていた方がありがたいような気がしませんか。
親鸞聖人の子孫で、本願寺を大きくされた蓮如上人は、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と言われています。一見、木像よりも絵像、絵像よりも名号の方が価値があると読めそうですが、私はそれだけではないと思います。
以前にも日記で触れたかと思いますが、阿弥陀様のお姿というのは、「方便法身」といって、私たちを生かしている「はたらき」として「私に届く、照らしてくれる光」をわかりやすい姿で表されたものです。
私たちにはその姿形を見ることができないため、蓮の絵の上に「南無阿弥陀仏」と書いて、そのはたらきをなんとか表そうとしたのが「名号」です。
また、そこから阿弥陀様のお姿を想像して、なんとかわかりやすい形に表そうとしたのが絵像と木像なのです。
阿弥陀様の形の原型が名号なので先に来ていますが、そういった「方便法身」の形である木像、絵像、名号なので、そこに優劣というものはないのだと思います。
ただ私が、どの姿に対して手を合わせて、お念仏をしやすいかということが大事なのだと思います。
木像ならお仏壇を買われたところで手に入りますし、絵像、名号ならご本山で用意していただけます。
おばあさんには、木像でも絵像でも名号でもどれでもいいですよ、どれが一番手が合わせやすいですか、とお聞きしました。
いきなり言われても戸惑ってしまったみたいで、よく考えてみるそうです。難しいですね。