日々ちょうこく

名古屋のお坊さんのブログです。文章練習も兼ねて、見た事、聞いた事、思った事を書いていきます。 たまに抹香臭い事も書きますよ。

6月の法語カレンダーより。

f:id:syoudentyoukoku:20140603231640j:plain 

平野恵子さんとは、岐阜県の飛騨高山で真宗大谷派寺院の坊守(お寺の奥さん)だった方です。

平野さんは、小児まひのお子さんの問題、ご自身の癌の問題と、大きな問題を抱えて生きていかれ、41歳で亡くなられました。

癌を知った後、綴った詩や手紙が「子どもたちよ、ありがとう」という本になって刊行されています。

 

私の祖父は、太平洋戦争の時に、士官学校を経て満州へと渡っていきました。

戦闘に参加する事無く終戦を迎え、そのままシベリアへと抑留されました。その頃のお話を子どもの頃はよく聞いたのですが、大体は軽い面白い話にしてくれていました。

しかし、当時の苦労は相当なものだったと想像できます。

その祖父は、15年前に亡くなりました。膵臓癌が原因でした。

 

のうのうと 病める幸せ 寒ゆるむ

 

療養中の祖父の机には、上記の7年ほど闘病生活を続けていたあるご門徒さんのお手紙に書かれていた句が、紙に書いてはってあったと聞きました。

 

今はもう 思い残すことなし 百日紅

 

亡くなる直前の夏に祖父が詠んだ句です。

大正から平成までと激動の時代を生きた祖父の苦労は想像できないくらい大きかった事だと思います。

自分の力ではどうしようもない事柄ばかり起こる中、それでも生かされている命を精一杯歩み続けるこができた。それを支えてくれた世界が確かにあったのだと思います。

祖父は、私にその事をなんとか伝えようとしてくれていたのだろうと、今になって思い返します。

 

深い悲しみ、苦しみを通してのみ見えてくる世界。

その世界を見るために日々歩んでいるのだと思いました。