先に行って待っておるぞ。
足腰や関節の痛みの為、なかなか動けず、部屋の掃除もできてないので、お参りに来てもらうのが恥ずかしいと、ここしばらくお伺いしていなかったおばあさんの家にお参りに行きました。
汚れてて申し訳ないと恐縮される、お邪魔して久しぶりにお勤めをしました。部屋はきれいに片付いており、お参りの為に頑張ってきれいにされたのかと思うと、お勤めにも余計に力が入りました。
お勤めの最後には、親鸞聖人の御消息(門徒宛に出されたお手紙)や歴代法主のお手紙を集めた「御書」というものを拝読します。
今回は親鸞聖人の御消息の一つを拝読させていただきました。お念仏を称えるという「行」と、衆生をもらさず救い取る阿弥陀様の本願を信じる「信」の二つが肝要だということをお伝えされているお手紙でした。
お手紙の最後の方に、「もう先に往生させてもらうような年になった、浄土にてかならず待っているぞ」と書かれています。
おばあさんはここ最近、この御書を毎日拝読していたそうです。偶然の一致でした。
足腰や関節が痛くて思うように動けない中、このまま虚しく過ぎていくのかと心細い日々を送っていたそうです。そんな時に御書最後の「かならず待っているぞ」という文章を見て、おばあさんは「足腰の立たない、役に立たないこんな私でも、親鸞聖人は浄土でかならず待っているとおっしゃっている」と少し心がスーッとしたそうです。
このスーッとした心になったということが、信心を得させていただいたということだと言えるのかなと思いました。
動けぬ私が動けるだけ動いて、お仏壇を荘厳し、スーッとした心でお念仏を申す。そんなおばあさんが、信と行とが二つあわさった確かな念仏者に見えました。