有無の邪見を破す。
先日日記で触れた、認知症が出始めているおばあさんのところへ、今月もお月参りに伺いました。
お話をしていると、相変わらず亡くなったおじいさんがたくさん登場してきます。
今日が足の調子が悪いからと布団を敷いたまま座っておられましたが、「おじいさんに足の調子が悪いならそのままにしておけと言われた」とおっしゃいました。かと思えば、おじいさんの法事の時のお話も出てきます。
お勤めした後に年度末の挨拶をした後、来年のお約束をしておばあさんの家を後にしました。
ところが途中で仏壇のろうそくの火を消してないことを思い出し、慌てて引き返しました。
声をかけておばあさんの部屋に入ると、おばあさんは仏壇に手を合わせてお念仏をしながらじっと見つめているところでした。
その横顔を見ていると、おじいさんがこの場にいてもいなくても、おばあさんにはおじいさんが確かにここに存在していると感じているのだと見えました。
姿が見えなくても、形が亡くなってもここに有ると感じているのでしょうか。
正信偈に「悉能摧破有無見」とあります。
有るとか無いとかという見方は、お念仏を生きる者にとっては問題にならないです。