1月の法語カレンダーより。
称えるままがつねに御本願のみこころを聞くことになる 香樹院徳龍
香樹院徳龍は江戸時代の僧侶です。この言葉は、阿弥陀様の教えに惹かれ、阿弥陀様の教えを聞くようになった禅僧に語った言葉の一節です。
お説教を聞くことも、お聖教を読むことも「おしえを聞く」ということですが、「お念仏を称える」ということも「おしえを聞く」ということになるのです。
お念仏をするということは、誰に教えていただいたのでしょうか。私の力のみでお念仏をするようになったのではないのではなく、お念仏をする生き方をした先達たちの背を見て、ご教授をうけて初めてお念仏をするようになったのではないでしょうか。
そうやって口から出てくるお念仏は、私が、私の力でお念仏を称えるのではなく、私の口を通してお念仏が称えられる。そう言えるのだと思います。
私の口から称えられた「南無阿弥陀仏」は、私の口から出てくるまでに経てきた仏のおしえの歴史を内包していて、おしえが「南無阿弥陀仏」となって私の口から出てきているのだと思います。それはすなわち、そのまま「仏のおしえ」として受け止めなければならないのだと思います。