死を受け止めよと問われること。
葬儀の予定が2つ重なってしまい、一つは私が担当する事になりました。
一度もお会いした事の無いご門徒さんのご葬儀なので、色々と頭を捻っています。
ご門徒さんの紹介や葬儀会社さんの紹介で、これまでご縁の無かった方の葬儀をするという事も少なくありません。
また、私自身今のお寺にお世話になって5年ほどですので、まだお会いしていないご門徒さんもおられます。
正直、どうやってご葬儀を勤めようかと悩んでしまいます。
今のところは喪主さん、ご遺族さんのお話をできるだけ聞いて、力一杯お勤めするほか無いなぁと思っております。
現代の葬儀というのは、必ずしも悲しいだけという事でもないと、先日ある講演の書き起こしの文章を読みました。
長い間患っていた方、認知症の介護をされていた方など、亡くなり方は千差万別です。
故人が亡くなられて、悲しいだけでなく正直ホッとしたという方も少なくないでしょう。
しかし、必ず悲しまなければいけないという事では決して無いと思います。
故人にご苦労様でしたと声をかけ、その死を受け止めるというのも一つのあり方です。
悲しみに悲しんで、泣きわめくのも大事なあり方です。
問題は、その死をこの先どうやって自分が受け止めていくか。大事にな人はもちろん、自らにも必ず訪れる「死」というものをどうやって受け止めるのかと言う事だと思います。
葬儀というものは、先んじてなくなられた方を通して「死」ということを教えていただく大事な儀式だと思います。
その事が少しでも伝わって欲しいと思って、葬儀に臨んでこようと思います。
先立ってご位牌を書かせていただきましたが、もうちょっと上手く書けるよう努力しなければならないと思いました。