別院、春の永代経。
本日、高田派名古屋別院にて春期永代経が勤まりました。
今回は今月に入って日程に気付いて焦りましたが、ちょうど予定も空いていてよかったです。
普段でしたら合間合間にお月参りが入ったりして、なかなかゆっくりする事もできませんでしたが、今回はまるっと全て出席し、ご聴聞する事ができました。
お説教の先生は、名古屋に来て一番お世話になっている先輩でした。実はしっかりお説教をお聞きするのは初めてでしたので、ありがたくご聴聞させていただきました。
先生のご体験のお話で、ご門徒さんのお子さんに質問された「肝心要」という言葉の意味から、「宗教」と言う言葉の「生きるという事の肝心要のことを教えていただく」と言う意味のこと。
また、「死の五則」という言葉から、死ということの絶対普遍で不可避なこと。そして、死に直面したときにかけていただきたい言葉、かけるべき言葉のこと。
等々、色々お話しされていましが、中でも「お寺というのは死という事をお話しできるすばらしい場所だ」という言葉が印象に残っています。
私たちが現在生活する中で、死と言う事を考えることを禁忌とする風潮があったかと思います。
ここ数年でよく言われるようになった「終活」という言葉や「エンディングノート」というものもありますが、それは自分が死んだ後の事や、死ぬ前の物理的な事のことを心配しているのが大半であって、「自分がどのように死に向かい合って、死を受け入れていくか」という事にはあまり触れてないように思います。
お寺にご縁を結んでお参りさせてもらうということは、仏様、またその教えを通して自分の本当の姿を見させていただく、必ず死にゆく私たちという真実を見させていただく
事でなければならず、お寺はそういう場所でなければなりません。
明日もまた永代経が勤まります。