駆け抜ける。
すごく久しぶりの日記となります。
4月より実質的に住職の仕事を引き継がせていただきました。前準備から現在にかけての多忙さに目を回しそうな日々が続いています。
目標であった寺報は4月1日付でお同行の方々にお配りすることができ、ひとまずホッとしています。
4月に入ってまだ2日ですが、お同行の皆さんの期待と叱咤に気を引き締めて、頑張っていく決意です。
現在のお寺に来て、すぐによくしていただいていた96歳のおばあさんに「ついに住職になられたなぁ」と、涙を流しながら大変よろこんでいただき、私も涙が出てきました。このおばあさんのところは、旦那さんが今年に入ってすぐに、お浄土に帰られました。忌明けまでは前の住職がお参りをしていたため、いなくなってから初めてお参りをさせていただくことができました。
体が弱ってきたおばあさんは、「早くあちらへ行きたい」と弱気なこともおっしゃいます。そんな時は、おじいさんもお浄土で待っています、みんな一緒ですと語り合いながら、本当に「倶会一処」なんだなぁと思うことができました。
これからも一緒にお参りをしようとお約束をさせていただき、とても有難く尊い関係を結ばさせていただいていると改めて思いました。
悲嘆に寄り添う。
名古屋の中心、栄にある白林禅寺にて「お寺からつながるグリーフケア」という講座に参加をしてきました。
これは、NPO法人リヴオンの代表者である尾角光尾(おかくてるみ)さんの連続講義を受けた僧侶の方々による成果発表会の場でありました。
グリーフとは、悲嘆と言う意味です。大切なことを亡くされた方々に対するケアとはどういったことなのか。
私がなんとなくでしかできていなかった大切な事を、改めて問われた重要な場でした。
アメリカやヨーロッパなどでは一般的に共有されている悲嘆を抱えている方への接し方ですが、日本ではまだまだ広まっていない事を歯がゆく思っておられる尾角さん。(通称てるみんさん)とても大切な出遇いをさせていただきました。
「寄り添う覚悟を持つ」という一番大切で一番大変な心構えを教えられました。
発注発注。
作成した寺報を4月1日にはご門徒さんのお手元に届けたいため、印刷所さんに入稿をし、寺報を梱包する封筒もレイアウトを考え発注をしました。全てインターネットで自宅に居ながら行えるため、便利なものだと感心しております。
こういった定期発行物を作るハードルは昔に比べてだいぶ下がったのだろうと思います。事務作業の煩雑さというものは昔に比べて何分の一になったのでしょうか。
ただ、本文作成のモチベーションという一番高いハードルは自分の力で超えるしかありません。まずは無理のない感覚での定期発行を心がけようと思います。
あるお寺の掲示板に書かれていた法語がTwitterで紹介されていました。
「たまに湧くやる気は、やる気じゃなくて気まぐれ」
今の私の心にグサッときてしまいます。
親の思いの裏目。
乳幼児の体を無理に捻ったりゆすったりする運動を施して、死亡事故まで起こしていたNPO法人の元理事長が逮捕されたという報道を見ました。
子供を持つ身としては、件の運動の様子の映像を見るとぞっとしてしまいます。なんでこんな無理なことをさせるんだと一瞬思いました。
しかし、おそらく運動を施された子供は、元々体に不調を持つ子だったのだろうと想像できます。そういった子を持つ親の気持ちを考えると、藁をも掴む思いだったのだろうとやりきれないです。
これは他人事ではなく、もし、私の子供がなにか不調を抱えていて、それが治ると言われたらすがってしまうかもしれません。
ただただ、逮捕されてよかったと思います。そして、真相が明らかになってほしいと思います。
あたらしいこと。
いつの間にか3月に突入していました。
しばらく忙しさを理由に放置をしておりましたが、なんとか続けられるように踏ん張らなければなりません。
来月よりお寺の運営が新体制となるため、それの準備を中心にバタバタとしています。同時に娘の入園も控えておりますので、妻も忙しそうです。
忙しさの成果としては、4月から配布しようと思っている寺報がなんとか形になりました。
校正、配布先の整理、印刷所への発注等、まだまだやることは多々ありますが、とりあえずは4月に間に合いそうでホッとしています。
新しくなること、引き継いでいかなければならないこと、考えることにキリはありませんので、なんとか頑張っていくしかないと思います。
普段は見えにくい終末の問題。
都市部の火葬場の不足が大きな問題になりつつあるようです。
名古屋市には大規模な火葬場が一箇所ありますが、葬儀の多い季節になると1、2日待つこともあります。
これが東京になると、5日とか、一週間とか待たなければならないこともあると聞きました。
高齢化社会で、葬儀の数は右肩上がりとなっていて、20年ほどでピークになる予測だそうです。
名古屋市は港に近いところに大きな火葬場を建設中で、もう少しで完成だそうです。
火葬場建設が近くにできることに反対する方も多いとおもいます。しかし、必ず必要なものですし、いずれは自分もお世話になるところなので、誰かが我慢するしかないのでしょう。
また、ピークが過ぎれば無駄な施設になりかねないという問題もあるので、難しいところです。
故人の生きた証たち。
前坊守の1周忌法要が勤まりました。
親戚など総勢30名以上があつまり、賑やかにお参りできたことがなによりありがたいことでした。
小さい子は私の子供も含めて6人で、食事の後にみんなで駆け回っていました。
厳密には親戚ではありませんが、なんとなく親戚のお姉さんたちと一緒に遊ぶことができた娘は、すごく楽しそうでした。
前坊守がつないでくださったご縁だと思うと、大事にしていかなければならないと思います。
その後はお通夜をお勤めさせていただきました。
こちらも親族、近所などたくさんのお参りと、たくさんの大きな声のおつとめでお通夜をすることができました。
生前は多趣味だったと聞いており、それがきっかけで広がったたくさんの方々に見送られて、お浄土へと旅立って行きました。
家族葬が増え、直葬もだんだん増えてきたこの頃ですが、おまいりの方々は、故人の大切な生きた証でもあります。できたら、賑やかにお見送りできるといいなと思いました。