不思議ないのちを生きている。
毎月恒例、定例布教でした。
今日は妻の両親がちょうど遊びにきてくれたため、娘を見てもらいつつ、妻も最後までお説教を聞く事ができていました。ありがたい事です。
今月は犬山市から来ていただいた先生でした。
震災以後、ボランティアや慰問などでたびたび東北の被災地へと足を運ばれている方で、先月の終わりにも行ってきたとのことです。
今日のお説教のお話の中で、「宇宙はなにでできているのか」という事をお話しされました。
20世紀終わり頃までは、全て「原子」で説明できるといわれていましたが、ここ最近の研究では、原子は宇宙全てのエネルギーの内の4.4%でしかなく、それ以外の約96%は暗黒物質、暗黒エネルギー、反物質、ヒグス粒子などの正体不明の存在が占めていると言う事がわかったとのことです。
学問、研究が進んで、私たちが生きているこの世界については、わかった事が増えてきた以上に、わからない事の方がどんどん増えていっているのが現状だそうです。
その中をとりあえず生きている私たちは、まさに「不可思議をいただいて生きている」ということです。
生まれてきた不思議、生きている不思議、それらに感動し、感謝し、精一杯生きようとするということが、「信心をいただく」と言う事ではないか。そうおっしゃられていました。
阿弥陀様の別名に「南無不可思議光如来」というものがあります。如来に出会う全ての人々に不可思議(感動、感謝)の心を開く仏です。その中でも一番の不可思議が、「今私が生きている」という当たり前と思っていることです。
その不可思議に出会って、感動し感謝するということが、「他力の信心」をいただく、「他力の生活」になっていくということです。
そこに気付いていくと、私にできる事は、少しでもせずにはおれない、人生に驚きたい、人間に驚きたい、私が生きている事に驚きたい。
そういった事が「信心がひらける」ということではないか、と教えていただきました。